初盆が終わって。

コロナウイルスの第7波の真っただ中、

 

兄貴の初盆が終わった。

 

コロナの新規感染者数は全国で連日20万人前後出ている。

 

「密にならないよう気を付けて、」

 

「ご焼香が終わったらさっさと解散しよう」

 

等と言っていたのに、結局同じ時間に親戚が集まってしまった。

 

初盆は、四十九日に出席した親戚のみでやろうという事になって、

 

訪問する人数を制限し、また、兄貴の家は8/13、8/14の2日間のみ来客を受け入れることにした。

 

兄貴はもう仏になったので、魂に対して話しかけることもできるが、どうもしっくりこない。

 

どたばたと初盆まで来たけれど、数えれば2か月ちょっとしか経ってない。

 

まだ3か月も経ってないのだ。

 

100日供養が「卒哭忌(そっこくき)」と呼ばれ、

 

100日までは声を上げて泣いていても良い、

 

それくらい身内の死は辛くて悲しい、

 

でも100日過ぎたら、泣くのをやめてこれからのことを考えて前に進みましょう、と言うのだから、

 

まだまだ悲しくて良いはずだ。

 

私は毎朝、祖父祖母や、ご先祖様。無くなった親類縁者、友人知人に感謝の気持ちを念じて祈っている。

 

なんか、兄貴はまだそこに混ざらない気がするのだ。

 

ニュージーランドの雪山のスキー写真がテレビで流れていた、そういえば兄貴も自然にあこがれてニュージーランド行ってなかったっけ?

 

何かをきっかけに兄貴のことを考える。でももういないのだと。

 

変な話だが

 

兄貴が無くなった後、スーパーフライのDVDを車で大音量でかけて運転していた、ボリュームMAXなんて出したことの無い大きさで聞いていた。カーステレオのボリュームの最大が34であるのを初めて知った。

 

でも、初盆が終わって、最近、そんなに大音量で聞かなくても満足できるようになった、こころの隙間が埋まってきたんだろうか?

 

初盆の日兄の遺品をいくつかもらってきた、ギターや、子供たちは本やかばんをもらってきた。そんなことも気持ちが落ち着いてきた理由かもしれない。

 

兄の骨はまだ兄の家にある。納骨は先延ばしにしたので、これからどうするのか、落ち着いて手を合わせるにはまだ少し時間がかかりそうだ。